街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

コミュニケーションが得意ではない人に「克服」より「隠蔽」のススメ

私は人とのコミュニケーションが苦手である。

というか嫌いだ。

こんな風につぶやく私は、さしずめ社会不適合者といったところだろうか。

これは、私の心の奥深くに住まう邪気のようなもので

(実際には、純粋な私の本性だと考えている)

めったに解放されることはない。

解放されれば私が、私の生きるコミュニティで

様々な不利益と不都合を被ることが容易に想像できるからだ。

社会はコミュニケーションのできない人間に

やさしくないという性質をもっている。

単なる人付き合いが下手な人に対しても

鬱などの心の病を患っている人に対しても程度の差こそあれ同じだ。

好奇の目に晒したり、コミュニティから排除したり

人として正当な評価をしてくれなかったり。

つまり、そういう人間はいじめやハラスメントの対象にされやすい。

世代や性別、属しているコミュニティの種類を問わず

会社勤めのオヤジであろうが、学校に通う女子高生であろうが的にされる。

だから私は、私のコミュニケーション嫌いを心の奥に閉じ込めた。

やらしく聞こえるかもしれないが、これは「隠蔽」である。

ただし、 自分を護るための“正当隠蔽”である。

無理に「克服」する必要はない。

そもそも、そんなに簡単にできるものでもない。

 嫌いなものは嫌いのままでいい、苦手なものは苦手のままでいい。

そう自分に言い聞かせてきた。

現に私は隠蔽することで、本来の自分とはかけ離れたイメージを伴いながら

時にはコミュニケーション能力の高い人間だと言われるようになった。

いつしか、そのイメージが自分に馴染んで

ある程度自在にコントロールできるようにもなった。

人は、人とのコミュニケーションを避けては通れない。

コミュニケーション嫌いを晒して社会からドロップアウトするか

隠して社会との接点を保つかの二択である。

私は後者を選択したに過ぎない。

まあ、生きていく上ではその方が都合がいいのも事実である。

けれど、何かの弾みで隠蔽していたはずの本来の自分

つまりコミュニケーションできない自分が解き放たれることがある。

抑圧されていた本性は、それはそれは邪悪な臭気を放ちながら

世間をのたうち回るのだ。


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