街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

自分を覚えていてくれるという幸せ

この世から、自分の存在が

こつ然と消えてしまったら

どういうことになるのだろう?

答えはカンタン。

まったく何にも変わらない。

そんなことは、とっくに知っている。

だからこそ、いま、私が存在している世界での

私の「現在地」が気になったりもする。

早い話が

人付き合いに面倒を感じながらも

人から忘れられることが怖いのだ。

存在しているのに

存在していないかのように扱われるのが

恐ろしくてたまらないのだ。

人間として未熟だと思うが

こればかりはどうしようもない。

そんな自分だから、普段の暮らしの中で

自分が認識されている事を感じると

ほっこりしたりすることもある・・・。

 

私がよく利用する職場近くのコンビニに

愛想のいい、ちょっと変わった店員さんがいた。

日本人男性で、歳は30代半ばといったところか。

その店員さんのレジに当たると

「いつもありがとうございます」

と必ず声をかけてくれる。

覚えていてくれるのだ。

そうするとこちらも

「今日は暑いですね・・・」

なんて、社交辞令の一つもすんなり出てくる。

私はこのコンビニで煙草を買う事が多い。

「◯◯◯(煙草の銘柄)をください」と私。

「はい、どうぞ」と店員さん。

これが基本のコミュニケーションだ。

しかし、この店員さん、いつしか

私がレジの前に立つと、条件反射のように

頼んでもいない煙草を持ってくるようになった。

サービスのつもりなのだろう。

「覚えていてくれるんですね、すごいですね」と私。

すると「いいえ、そんなことないっす」と照れながらも

店員さんはとても得意気だった。

「ありがとうございました」の代わりに

「お仕事、がんばってください」

と言って送り出してくれる。

まあ、私がいつも煙草を買いたいわけじゃない。

考えてみれば、おせっかいな話しだ。

サービスの本質を履き違えているのかもしれない。

けれど、この店員さんのサービス精神を

無下にするような気がして

「煙草、いりません」とは言えなかった。

そうして私は

店員さんが黙って差し出す煙草を買い続けた。

私を覚えていてくれる人が、そこにいる。

結局、それで、私も満足だったのだ・・・。

こんな些細な交流が1年ほど続いたある日

いつものようにコンビニへ行くと

その店員さんの姿がなかった。

休みかな?

次の日も、その次の日も、週が明けても

店員さんの姿はなかった。

気になったので

コンビニの他のスタッフに聞いてみることにした。

すると、急に辞める事になったのだという・・・。

もちろん理由なんて分からない。

私はこの店員さんについて何も知らない。

(名札で苗字は知っていたが)

個人的に特別な感情もない。

私たちは、ただのコンビニ店員と客に過ぎない。

けれど、この一件は私の胸をざわつかせた。

それは、決して寂しさではない。

私の周りから、私を覚えていてくれる人が

一人いなくなってしまった・・・。

それは、そんな喪失感だったのかもしれない。


人気ブログランキング


生き方ランキング