街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

『サラリーマン川柳コンクール』30年超の歴史で変わったものと変わらないもの

先日『サラリーマン川柳コンクール』のベスト10が発表された。

第一生命保険が主催するこのコンクールは、今年で31回を数える。

「毎年、楽しみにしています!」というほど

このコンクールに思い入れはないのだけれど

毎年必ずといっていいほどニュースでとりあげられるので

ついつい見てしまう。社会の風物詩の感さえ漂う。


作品は伝統的に、社会と世相を取り入れた自虐ネタとナンセンスを扱うものが多い。

人の幸せと常識は、なかなか作品としては評価されづらいものだ。

もちろん、世相としての「ネタ」は毎年変わるのだが

作品の基本構造は、昔から変わっていない。

評価する一般大衆の評価基軸も変わっていないと思う。


今年の1位の作品は

『スポーツジム 車で行って チャリをこぐ』

昨今の健康志向とその矛盾のナンセンスをネタにしている。

腹を抱えて笑うほどではないが、クスッとさせられる。

いわゆる「あるある」が上手く表現されている。

今年、私が支持した作品はというと

『効率化 進めて気づく 俺が無駄』

職場の効率化をすすめる中間管理職の悲哀を自虐で表現。

全体の4位にランクされた作品だ。

うん、上手いものだ・・・。


思わずハッとした。

30年をこえる『サラリーマン川柳コンクール』という営みのなかで

変わっていくのは、読み手(読者)の意識である。

いや、読み手の意識というより、読み手そのものなのだ。

(書き手そのものも変わっているのだが)


30年前、『サラリーマン川柳』が誕生した頃、私は20代の学生だった。

貧しくて、ただ貧しくて、学費と生活費を毎日のバイトで賄っていた。

けれど、漠然と夢は見ていたし、将来の自分に期待をしていた。

「大人になれば、こんな世界から抜け出せる」

そんな、当時の私が『サラリーマン川柳』の作品を見て

感じていたのは、こういうことだと思う。

「ダッセーな」とか「こんなサラリーマンには、ぜったいなるもんか」

・・・・

つまり、1ミリたりとも共感していなかった。

というか、共感なんてしたくなかった。


余談だが、古谷三敏さんの漫画に『ダメおやじ』がある。

家庭でも会社でも虐げられる中年サラリーマンの話しだ。

この漫画は子どもの頃の私にトラウマを与えるのだが

サラリーマン川柳』は、『ダメおやじ』に重なるように思えた。


そして、30年後・・・

サラリーマン川柳』の作品に共感している私がいる。

いつからそうなったのかは、分からない。

きっと、30年という長い時間のなかで

色々な経験をして、色々な事を感じて、少しずつ、少しずつ

私自身の何かが変わったのだろう。

共感することが、良いことなのか悪いことなのかを

判断するには、もう少しだけ時間がほしい。


ちなみに、今年の1位の作品の書き手(作者)は

60代の男性である。

その洞察力と表現力、そして何より

コンクールに参加しようとする行動力に、敬意を表します。

本当に、おめでとうございます。


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