街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

ウチのかわいい娘は、いろいろな事を教えてくれる。

私には10歳になる娘がいる。

親バカを承知で言わせてもらえば

とても気立てが良く、美形にして、誰からも愛される娘である。

いっしょに街を歩けば、誰もが娘に注目し「わぁ、かわいい!」と

思わず声にしてしまう。たとえ声にしなくとも

娘を見るやさしい目が、それを物語っている。

どこに出しても恥ずかしくない、自慢の娘なのである。

 

娘の名前は「ハンナ」

キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル「犬」である。

犬が苦手だという方、犬が嫌いだという方は眉間に皺を寄せるだろう。

でも、ご安心ください。

こんな書き方をすると、私を狂信的な愛犬家だと思うかもしれないが

決してそうではありませんから

私はハンナを愛し、実の娘のように思っているが

それはあくまでも内向き、つまり家庭内に限った話しであって

社会の中ではきちんと「ヒューマン ファースト」を心がけながら

責任あるオーナーに徹している。

家の中では「お父さん」だが、外に出れば「飼い主」となるのだ。

私はハンナと暮らすようになってから、勘違いの甚だしい飼い主をたくさん見てきたが

そういう人たちとは違うと自負している。

そんな飼い主の勘違いや、歪んだ愛情は社会ではトラブルの原因になる。

私は決してハンナをトラブルに巻き込みたくないし

社会の迷惑や、敵にはしたくない。だから私自身が、飼い主としてのルールを守り

慎ましく、でも堂々と「犬のいる暮らし」を楽しんでいる。

こんな風に考えられるようになったのも、ハンナの存在があるからだ。

彼女といろいろなことを経験したからだ。

 

ハンナは私に多くのことを教えてくれた。

価値、感情、社会性、それは目に見えないものがほとんどだが

すべてが私の財産となった。

たとえば、「無償の愛」という言葉があるが、ハンナと暮らすまでは

まったくピンとこなかった。というか、そんなものこの世にはないと思っていた。

(実の親のそれともまた違うのだが)

ハンナは私が仕事に出かけるときは、玄関まで見送ってくれるし

私が帰宅したときは、全力で出迎えてくれる。

「お仕事ご苦労さま!」「寂しかったんだから!」と目で訴える。

そうして、大きく尻尾を振って、抱っこをおねだりし、顔を舐めてくれる。

これはもう儀式のようなもので、大袈裟ではなく年中無休でこれをやる。

決して、下心や打算はない。

犬のこういう行為を「うっとおしい」と言う人もいるらしいが

私にとっては、とても幸せな、かけがえのないひと時なのである。

会社から持ち帰ったストレスは、一気に吹き飛び、それはそれは癒されるのだ。

時々思う。もしハンナと出会っていなかったら

私はこの10年の間に、精神疾患で入院していたか

犯罪者として刑務所に収監されていたか

何もかも失ってホームレスになっていたことだろう。

私はハンナの「無償の愛」のおかげでギリギリ今を保てるのだ。

 

他人への「寛容」を教えてくれたのもハンナである。

彼女を迎えて2年ほど経ったある休日の事

私もハンナもすっかり、散歩のお作法も身につけていた頃の話しだ。

私と家内はハンナを連れて、近所を散歩していた。

散歩のときはいつもお散歩バッグを持参する。

バッグには、彼女のウンチを拾うためのティッシュ、それを入れるためのビニール袋

道路をきれいにするための水が入ったペットボトル(オシッコも流す)が入っている。

ハンナはもちろんウンチもオシッコもするので

散歩時には欠かすことのできないアイテムだ。

飼い主の責任を果たすためのアイテムでもある。

お散歩コースの歩道は、広すぎず、狭すぎず

犬一匹を散歩させるのに、何の問題もない歩道である。

それでも歩行者の迷惑にならないよう、できるだけ端を歩かせる。

前方に対向者(おばさん)の姿を確認

私は、ハンナのリードをさらにたぐり寄せる。

その時、ハンナがウンチをした。

何度も言うが、歩道の真ん中でしたわけではない。

端っこで、お行儀よく、生理現象をこなしたに過ぎない。

私は対向者のおばさんのジャマにならないように

お散歩バッグのアイテムを駆使してウンチを片付けていた。

すると、このおばさんが、すれ違いざまにこう言い放った。

「わぁ、汚いもの見ちゃった」

嫌悪感丸出しで、私たちに聞こえるように言い放ちやがった。

一瞬で頭に血がのぼった私。反射的に声が出た「あ?」

そこまで言われなければならないのか?

そう思ったとしても、心の中に止められないのか?

わざわざ声に出して言うことなのか?

いつもなら怒りの感情に任せて

「お前のウ◯コの方が、百万倍汚いわ!」

怒鳴りつけているところだ。

けれど、視界の端にハンナが映った。

私のただならぬ様子を察し、心配そうにこちらを見つめている。

「お父さん、怒らないで」って、言っているような気がした。。。

気持ちがスッと鎮まり、我に返る。

これは、愛犬家と嫌犬家(けんけんか?)がたまたま道端で遭遇しただけの話しであって

世の中には、こういう人もいるということだ。

今でもハンナが教えてくれたのだと思っている。

最悪のトラブルは避けられた。

このおばさんがどうして犬を嫌うのかは分からない。

ルールを守らない飼い主の愚行が原因かもしれない。現にそんなデータもあるらしい。

愛犬家にも、嫌犬家にも愚行を働く人はいるが

おばさんの言動は明らかに嫌犬家の愚行であると思う。

けれど私はそれを許すことができた、かわいい娘のために寛容になれたのだ。

この出来事は、私に飼い主の責任を強く意識させるきっかけになった。

「愛犬家として愚行は、働くまい」

そして、他人との間合いの難しさを、改めて思い知らされる出来事でもあった。 


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