街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

思いがけず小さな「命」をプレゼントされたときに感じた戸惑いと責任

「ベタ」という熱帯魚がいる。

見た目にも美しく、比較的飼育しやすいことから古くから重宝され

昨今でも人気の高い観賞魚の一種である。

私はこのベタを一瞬だけ飼っていたことがある。本当に一瞬なのだが・・・。

ベタは友人から誕生日のプレゼントとしていただいたものだ。

うん、確かに美しい。美しいのだが、どうすればいいのだろう。

観賞魚とはいえ、生き物、つまり一つの「命」だ。

これはかなりのプレッシャーだ。正直な話し、うまく飼育する自信がない。

我が家では、私の負のオーラがそうさせるのか

観葉植物一つ育ったためしがない。

丈夫が取り柄のサボテンですら枯らしてしまう。

愛犬が10年間も元気でいることは、ある意味奇跡だと思っている。

私の中に小さな使命感が生まれた。

「何が何でも、死なせてはならない」

きっと、友人はことある毎に聞いてくるはずだ。「ベタは元気?」

そのときに「死んじゃった」ではシャレにならない。

ベタの寿命は3〜5年らしいので、せめて3年は生きていてもらわないと

カッコがつかない。友人に顔向けができないではないか。

私は直ちにベタと、ベタの飼育に関する知識をネットからかき集め

必要最低限の器具を揃え、飼育環境を整えた。

水槽はプレゼント時に一緒にいただいた直径15センチメートル

高さ25センチメートルほどある円柱形の透明のビンである。

まずこのビンの置き場を確保することにした。

愛犬がじゃれてビンを倒したりできないよう、ある程度の高さが必要だ。

まさかとは思うがベタを捕食しないとも限らない。

テレビ台の高さがちょうどよく、スペースも確保できそうだった。

テレビの横なら、目線も合う。

番組と番組の合間に箸休め的にベタを観賞することもできる。

場所は決まった。次に用意するものはビンの入口を塞ぐ「フタ」になるものだ。

ベタにはいくつかの特徴があって、その一つに脅威のジャンプ力がある。

水面から20センチメートルくらいの高さまでジャンプするので 

ビンを飛び出してしまう。これには100円ショップで購入した

格子状に型取られたプラスチック製のパネルで対応した。

格子が空気穴にもなり、強度的にも問題はなさそうだ。

このパネルをビンの入口の大きさに合わせ適当な大きさにカットし

念のためそれまでビンが置かれる場所に鎮座していた

置物の小さなこけしをウエイト替わりにした。

あとは水温のコントロールである。

ベタは熱帯魚であり低水温には弱いという性質を持っている。

そこで購入したのが「パネルヒーター」だ。

ビンの下に敷き、水を温める装置である。

季節は冬、このパネルヒーターは常時稼働させる必要があった。

そうして、ベタのいる暮らしがはじまったのだ。

最初はベタそのものに関心もなく

その小さな「命」を守るという使命感でしかなかったのだが

飼い始めるとやはり情が移り、愛おしい存在になる。

とても人懐っこい性質で、ビンに顔を近づけると

美しい尾ヒレをひらひらさせながらこちらに寄ってくる。

「かわいい」

1日1回のエサやりも日課になった。

季節は冬から春へ、そして初夏を向かえた頃ベタと私の関係は良好だった。

ベタは元気だったし、私はベタのいる暮らしを楽しんでいた。

すっかり家族の一員として機能していたその矢先

ベタが死んだ。突然死んだ。

朝起きて、いつものようにエサを与えようとすると、もう動かなかった。

何が原因かは分からないが、さすがに凹んだし、悲しかった・・・。

ちょうど1年前、今くらいの時期である。

約半年間続いたベタとの暮らしはこうして終わった。

振り返ってみると、私はベタをプレゼントされたときから

「命への責任」を負ったのである。

当時感じたプレッシャーの正体はこの「責任」に他ならない。

友人に他意はない。もちろん私に責任を感じさせようなどと考えるわけもなく

ただただ美しい観賞魚を私にプレゼントして喜んで欲しかったのだと思う。

実際、ベタのいた半年間は楽しかったのだ。

だから、友人には今でも感謝している。本当にありがとう。

一方で、預かった「命」を全うさせてあげられなかった、という思いもある。

それは、友人にもベタにもだ。

私には生き物を誰かにプレゼントする、という発想はない。

相手がそれをどうしても欲しがっているとしたら話しは別だが、基本的にはない。

たとえそれが観賞魚や、クワガタのような昆虫の類であっても命は命である。

それを誰かに託すことは、気が引けるのである。

私が感じた責任や悲しみを、誰かが味わうのだと思うと、いたたまれない。

私はそう思うのだが、どうだろう。それとも、もっと軽く考えてもいいのだろうか。

・・・うーん、分からん。

後日、ベタの死を友人に報告した。

その友人は「えー!そうなんだ」と驚いた様子ではあったが

決して悲しそうではなかった。


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