街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

「ヘタウマ」を理解できないやつに、いいコンテンツなんて創れやしない

「ヘタウマ」という世界観がある。

この世界観は、主に絵画やイラストなどに用いられることが多い。

「へたくそ」以上「うまい」以下などと定義されることもあるようだが

その見立ての基準は、人それぞれにあるようだ。

確かに同じ作品でも誰かがみれば「へたくそ」だけど

違う誰かがみれば「ヘタウマ」ということもある。

それは、それでいいのだと思う。

芸術性やセンスを問われていると感じる人は

それがバイアスとなってしまうこともあるだろうし

「すき、きらい」という感覚が影響することもある。

作家の名前が売れているか、売れていないか、ということもある。

そういう意味でも「ヘタウマ」を特定することは意外と難しいのかもしれない。

私も正直、よく分からない。ただ、仕事上そうも言っていられない。

だから私なりに「ヘタウマ」を見立てると、例えばイラストの場合、単体ではなく

何らかのコンテンツや原稿の一部となったとき、文章やデザインと調和し

ときには引き立てながら、そこはかとなく“いい味”をだしてくれるもの。

そう思っている。「ヘタウマ」だけを見るのではなく

「ヘタウマ」がコンテンツの中でどう機能するかである。

こういう見立てをまったく理解できないやつがいる。

私が生業としているこの世界では致命的だと思う。

ただの観賞者ならともかく「すき、きらい」でしかものが見ることのができない専門職。

「ぼくは、すきじゃないなぁ」だって。

ば〜か、お前のために創ってんじゃないんだよ。

こっちは、請負業として、お前の会社のために、良かれと思って選択してるんだよ

もう、やめちまえば、このくそクライアントが!

・・・それとも、この4流企業の4流の社員に「ヘタウマ」が理解できるほどの

リテラシーを求める私の方がどうかしているのだろうか。


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