街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

サッカー日本代表、お疲れさまでした。彼らに「惜しい」は必要ない

サッカー日本代表のメンバーへ、本当にお疲れさまでした。

大会が始まるまでは、ほとんど期待していなかった私だが

試合を重ねるごとに彼らの戦いに魅了された。

死闘となったベルギーとの一戦は、最後までドキドキしながら見ていた。

結果は残念だったが、ここまで日本中を熱く、感動させてくれた彼らには心から感謝したいと思う。

この一戦、私のような素人からすれば「惜しい」試合だったと感じるのだが

「惜しい」に全く意味のないことを選手たちは痛いほど分かっている。

よく、選手たちが「結果がすべて」と言っているのを耳にするが、勝負事とはそういうものだ。

この感覚、当事者じゃないと分からないし、本来、当事者しか言えないことだと思う

私たち素人風情で「結果がすべて」なんて言ってるやつがいたら、はり倒してやりたい。

こういう国を背負っての勝負とはほど遠いのだが、私の世界にも勝負事はある。

世の中は勝負だらけなのだ。

 

私事ではあるのだが。

このご時世、ほとんどの仕事は「コンペ」という不毛なシステムで成り立っていると言っていい。

公平を装った、不公平なシステムだ。

そこには当然「勝ち負け」が存在する。

複数の企業が参加するコンペのとき、たとえば5によるのコンペでは

勝者は1社で、あとの4社はすべて敗者ということになる。

コンペの場合、その出来や見積り額によって参加各社が順位付けされることが多いのだが

私にとっては、2位も最下位も負けは負けである。

大体、この順位が本当なのかも疑わしい。

クライアントは、敗者の4社すべてに「御社は2位でした」と

言っている可能性もある。

私の仕事がコンペに負けたとき、やたらと2位であることを強調し

「惜しい感」を出すやつがいるが

まったく理解できない。負けは負けである。

こういう人間に限って、「勝ち負けは時の運」などと平気で言う。

 

そういう人間は当事者ではないということだ。きっと、仕事をしていない。

けれど、そうじゃない。勝ち負けには必ず理由がある。

それが営業力なのか、表現力なのか、会社としての信用なのか

はたまた別の何かが必ずある。

私はその負けた理由が聞きたいだけだ。負けを受け入れて、次に備えるために。

どうして負けたのか、何が私に、私のチームに足りなかったのか。

頼むから、それだけを教えてくれ。順位なんて、どうでもいいから。

 

「惜しい」には何の意味もないし、「惜しい」では前にすすめない。

すなわち、次の「勝ち」に繋がらないのだ。

全力で打ち込んだ者しか見えない世界がある。悔しさがある。

今回のサッカー日本代表たちは、それが見えたはずだ。

そこに「惜しい」は存在しない。

私たちはただ、今回の彼らの努力を賞賛すればいい、そして次に期待すればいい。

苦言なんて不必要だ。次にやるべきことは、彼らには見えている。彼らにしか見えない。

こんなことを言うのはおこがましいのだけれど、スケールは違うのだけれど

私も私の世界で感じることがある。

全力で仕事に打ち込んだとき、それは見える。

「惜しい」なんて言っている場合ではない。

さぁ、次がある。


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