街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

名刺の肩書を奪われるということについて

会社の組織が変更になって大きく変わったことが3つある。オフィスビルが移転になったこと、フリーデスクになったこと、そしてもう一つは職制を示す肩書がなくなったことである。私たちには「課長」や「部長」など会社の役職を示す肩書と「デザイナー」や「〇〇ディレクター」や「〇〇プランナー」などの専門職制を示す肩書があった。名刺上にその肩書を記す場合にどちらを選択してもよかったのだが、元の組織のすべてのスタッフは職制を示す肩書を冠していた。当たりまえのことだが、職制を示す肩書は対外的に非常に大切な要素である。特に初めて仕事をする相手に自分を理解してもらったり、その後の業務を円滑にすすめることができる。自分の素性をソッコーで相手に知らしめることができる。近年、得体のしれない肩書は増えてきているにせよ、それ自体が話題になることもある。職制の肩書はコミュニケーションの入り口としてとても有効に機能するのだ。一方、会社の役職を示す肩書は、正直・・・どうでもいい。少なくても私がその名刺をもらう立場だったらそう思う。「私は課長の〇〇です」って、お前がお前の会社で課長だろうが、役員だろうが知ったことではない。お前は、この仕事で何をする人なのかが知りたいんだよ。となる。このバカな会社は、こんなコミュニケーションのカオスを生もうとしている。私たち現場のスタッフになんの説明もなく、名刺に職制の肩書を記載することを廃止してしまった。おおよその理由は察しがつく。新しい組織には専門職制を名乗ることのできないスタッフ、つまり専門スキルを有しないスタッフが半数以上もいる。そういったスタッフへの配慮、バランスを考慮してのことだろう。半沢直樹的に解釈すると“組織内融和”といったところか。まったくもってアホな話だ。この会社の決定が及ぼす弊害は、対外的なコミュニケーションのカオスの他にもう一つある。それは、若いスタッフのモチベーションの喪失である。若いスタッフの中には、専門職に憧れ、そこを目指し、それを名乗れるように研鑽を積んできた人種が少なからずいる。私の若い頃もそうだった。案の定、若いスタッフの何人かが愚痴をこぼしてきた。そうだよね、わかるよ、その気持ち。そんなスタッフたちには肩書が消えたのは名刺上だけのことだから、今まで通り専門職の矜持をもって、業務に取り組むようアドバイスしている。なんならオリジナルの名刺、つくっちゃってもいいしさ。とかも言ったりする。ただでさえダサい名刺に「主任」とか「課長」とか記載されて、それを配る恥ずかしさもある。とにかくいろいろとイタいんだよ。そういうことだよ。気づけよ、会社の偉いヒトたちさ。