街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

名刺の断捨離

会社の引越と新しい職場環境がフリーアドレス化されることが決まったのは、今年の春先、3月のことだった。引越はともかく、私が困ったのはフリーアドレス化の方である。自分のデスクがなくなる。あらゆるものが電子化、データ化されようとも、私のようなアナログな人間にとっては「現物」の方が絶対的に扱いやすいし、信用できる。私のデスクは紙の書類や雑誌や小説、写真集などの書籍、名刺の保管場所でもあった。引越の7月までに、それらアナログの現物たちをどうにかする必要があったのだ。ちなみに新しい職場には個人ロッカーは用意されていたが、すべての現物たちを収納するにはあまりにも小さすぎる。必然的に現物の断捨離を余儀なくされる。私の場合、それらの現物は資料というよりもメモリーとしての感覚が強い。なくても業務に支障をきたすことはまずないのだが、それらにはその時々の仕事の思い出がつまっている。徹夜して書き上げた企画書や、頭を抱えながら読み込んだオリエンシート、アイデアソースになった書籍たちは、どれも思い出深い。なんて感傷に浸っていてもしょうがないので、心を鬼にして処分することにした。コロナの影響で在宅勤務が基本になっていることもあり、出社が認められた時間は一人半日であった。つまり半日で引越の準備を完了しなければならなかった。書籍は半分ほどを処分し、残りを自宅に送ることにした。書類は結局ほとんど捨てた。最後に残ったのは、デスクの袖机に無造作に保管されている名刺である。ちなみに名刺管理ソフトやクラウドサービスを活用するという選択肢はまったくない。名刺はファイリングされているものが4冊と、50~60枚を輪ゴムで束にしたものが20個くらいあった。いつの頃からかぞんざいに扱っている。合計1,200枚~1,300枚はあるだろう。サラリーマン生活30年、この数が多いのか少ないのかは判断がつかないけれど、確かに言えるのは私のサラリーマン人生の歴史の一部ではある。中には接待で行った酒場の名刺やキャバ嬢の名刺もある。私はその一枚ずつ(一人ずつ)に目を通し、残すか処分するかの仕分けをするわけだが、処分する名刺にはいくつかの条件をつけた。1つ目はまったく覚えていない人。もはや縁が切れたと言っていいだろう。今後つながることはない。2つ目に単純に気に入らない人。覚えてはいるが印象が良くない。思い出したくもないという人。3つ目は今でも懇意にしている人。名刺なんてなくてもいつでも連絡がとれるし、不定期であってもブレーンとしていっしょに仕事をしている。仕分け作業は思いの外はかどった。はじめてしまえば思い出もクソもなく、処分することにまったく躊躇はなかった。上記の条件に従ってバッサバッサと切り捨てた。仕分け作業に要した時間は1時間たらず。そうして、最終的に手元に残した名刺は58枚だった。この58枚ですら、たいした意味はない。そんなものである。2つ目の条件はあるにせよ、58枚しか残らなかった。30年間で通り過ぎていった人びと。ビジネスを介してたまたま一瞬を共有してきた人びと、今、そんな人びとに感じるものは何もない。私の人生に大切な人びとは名刺のなかにはいないと確認した作業だった。大量の名刺が、セキュリティボックスの中に吸い込まれていった。