街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

誰にでも話しかける友人

9月最初の3連休は山へと出かけた。 約一年ぶりの本格登山である。パートナーは35年来付き合いがあ る友人で、今回の登山の発案者でもある。 気の置けないナイスな漢だ。 友人は私のような年イチ登山のど素人ではなく、暇さえあれば、 しょっちゅう山に入る上級者。そんな友人の、 あくまでも私から見たら「奇行」 とも言える行動がとても気になった。

 

山でのコミュニケーションと言えば、 行き交う人びとの条件反射のような挨拶である。「 おはようございます」、「こんにちは」、「お気をつけて」、「 ありがとうございます」。 人びとは見ず知らずの他人と言葉を交わす。 挨拶に慣れていない私にとっては、 これだけでも十分に心地が悪い。 登山者の清々しいイメージを誰もが、 何の疑いもなく実践している。相手は人間のクズかもしれないし、 ど変態かもしれない。もしかしたら犯罪者かもしれないけれど、 そんなことはお構いない。私も“郷に入っては郷に従え” の精神で、苦手な挨拶をせっせと繰り返す。

 

ただ、挨拶は挨拶であって、 言葉のキャッチボールは一往復でいい。 それ以上のコミュニケーション、 会話への展開はむしろお互いにとってジャマだと思っている。 もちろん山小屋やテント場などで、歩行を終えた登山者同士が、 何かのきっかけで仲良く会話をするのはいいと思う。 私の友人の奇行は、歩行中のほぼ全ての人と、 挨拶以上のコミュニケーションをとろうとすることだ。つまり、 会話をしようとする。「どこから来たんですか」、「 どこまで登るんですか」、「どこに泊まるんですか」。 そんなこと聞いて何になるというのだろう。こうなると、 お互い立ち止って話しをせざるを得ない。山での予定は、 目的地やペース配分よって、人それぞれである。「 一刻も早く先に進みたい」と思っている登山者も多い。 それを足止めさせられるのだから、たまったものではないだろう。 私は、イライラしながらこの様子を静観していた。“ オレも元気なうちに進みたいよ”。 友人のコミュニケーションはさらに続く。「その手ぬぐい、 いいですね」とか「その髪型、カッコいいですね」とか、 相手の外見やファッションをいじるのだ。 もはや山の話しでもない。大きなお世話である。ああ、そうか、 昔から、こういう人間だったよな。悪気はないが、 すこし空気が読めないところがある。きっと、 友人はこの行為を粋だと勘違いしているのだろう。 いけてる山男とでも言いたいのか。私はイライラを募らせながら、 なおも静観している。驚くべきは、 友人に話しかけられた全ての登山者が、 このどうでもいいコミュニケーションに付き合ってくれたというこ とである。友人の話しを、特に遮ることもなく、 丁寧に立ち止って応えてくれた。なんとやさしい事か。

 

そんな光景を見ているうちに、ふと思った。友人のこの行為って、 もしかしたらアリなのか。 山だからこそできる貴重な体験なのだろうか? ちょっと肯定したりもしたけど、 もし自分が話しかけられる立場だとしたら、ぜったいムリである。 さぞ迷惑そうな顔をして、 逃げるように先を急いだことだろう。 話しかけられた登山者が本当のところ、 どう思ったのかは知る由はない。 迷惑に思う人もいたかもしれない。 それこそ山の中のそんな他愛もない会話を楽しんでいた人もいたかもしれない。

 

間違いなく言えることは、私の友人には決して怯まずに、 どんな相手の懐にでも飛び込んでいける能力があるということ。 それは行動力なのか、鈍感力なのか、 はたまた両方なのかは分からない。いずれにせよ、 私には備わっていない能力である。