街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

四流の流儀

面白い企画を考えるだけなら三流。その企画をカタチにするだけなら二流、カタチになったコンテンツで世の中を感動させることができたら一流。仕事人として目指すべき指標を尺度にした教訓だ。若い頃は、厳しい先輩たちによく聞かされたものだ。一流や二流になるためには、いろいろな人と関わりながら、説得したり、懐柔したり、駆け引きしたり、競争に勝ったりしなければならない。果てしなく遠い道のりである。それに比べて三流は面白い企画を考えるだけでいい。それだって決して簡単ではない。けれど、少なくても独りで解決することはできる。つまり、三流には自分に才能さえあれば(才能が無ければひたすら努力する)なれる可能性があるということだ。だから、若い頃は人知れず企画に没頭した。上司や先輩が帰ったあとの会社で、むさ苦しい休日のアパートで、独りになれば、何か面白いことがないかといつも考えていた。そうするとどんなポンコツでも、何かしらの企画にはなる。自分で考えた企画だから、どんなものでも可愛いくてしょうがない。そんなことを繰り返しているうちに、面白い企画の一つや二つは自然と生まれるようになるものだ。果たして今はどうだろう。他の会社のことはよく分からないが、私の会社にはもう三流になろうとする人間すら少なくなった。考えることを放棄する人間が多くなった。「石に齧りついてでも面白い企画を・・・」そんな気概はもはや天然記念物級と化した。今は、いかに自分の手と頭を動かさないで(時間と労力をかけず)「丸投げ」というスマートな働き方を決めるかが大事だったりする。そして会社もこれを推奨している。やがて、それが身体にこびりついて、自分の本業と勘違いするうんこ野郎ばかりが増えた。三流すら目指せない、四流の流儀が幅をきかせるようになった。悲しいことである。