街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

ときどき、想うひと (二) 矢吹さん

実質2浪を経て大学入学を果たした私がまず取り組んだのは、食い扶持を確保することだった。親からの仕送りが期待できなかった私は、日々の生計はもちろんだが、入学金のために拵えた借金返済のために、アルバイト探しに奔走することになった。そして見つけたのが配膳業だった。一流ホテルのレストランや結婚披露宴におけるウェイターや給仕係である。高額な収入はアルバイトの域を超えていたが、仕事の厳しさもまたアルバイトの域をはるかに超えるものだった。お客さまを相手にする業務に失敗は許されず、プロの給仕係として必要なマインドとスキルを徹底的に叩き込まれた。矢吹さんは私が配属されたホテルのレストランで、私の教育係を買って出てくれた人物である。私の一回りほど年上の矢吹さんは、仕事においては、めちゃくちゃ厳しい人だった。ホールで失敗するとすぐにバックヤードに呼び出され、殴られることはなかったが、こっぴどく説教を受けよく泣かされた。自分の不甲斐なさと、置かれた境遇を思うと悔しくて、年甲斐もなく本当に泣いていた。そんな日々の連続だった。そのうち矢吹さんは、私を食事や遊びに誘ってくれるようになった。仕事明けに、休日に、事あるごとに声をかけてくれて、いろんな場所に連れて行ってくれた。時代はバブルの全盛期だ。マラハジャ、キング&クイーン、Mカルロ・・・。田舎者の青年には眩しすぎて失神するくらいのところへも連れていってもらった。いつでも支払いは矢吹さんが持ってくれて、私には一円たりとも払わせることはしなかった。私はいつも矢吹さんに甘えて奢られていたわけだが、さすがに若干の後ろめたさを感じていた。そんなある日、いつものように食事に誘われた私は、矢吹さんにこう切り出した「今日は給料日だし、ぼく払いますね」。すると矢吹さんは「そんなこと気にする必要はないよ」とあっけらかんと言い放った。「いつかお前に後輩や部下ができたとき、同じことをしてやればいい、そうやって世の中はまわっていくんだよ」と・・・。時代は移り“ワリカン”という概念が合理的且つ妥当的に蔓延する世の中になった。身内の上下関係であっても、昔のような付き合い方は稀になった。そう、価値観は変わる。デートで女の子とのワリカンがまかりとおる世の中なのだ・・・。そのことを嘆いても仕方がないと思う。それでも私は、後輩や部下を連れて食事に行くとき、矢吹さんと矢吹さんのコトバを思い出す。そして実行している。もちろん、同じコトバを添えながら・・・。ただ、奢られることが当たり前のように振舞われると、イラっとしてしまう。我ながら、勝手なものである。