街角のコミュニケーション

世の中コミュニケーションだらけ。

愛犬の緊急事態とクソじじいの老害

会社から帰宅すると家内の機嫌が悪い。

理由を聞いてみると、良くないことが重なった一日だったと言う。

一つ目は愛犬が原因不明の出血をしたこと。

慌てた家内は、急いでかかりつけの動物病院へ電話し、当日の診察を予約した。

動物病院へはバスを2つ乗り継ぎ40分かかる。家内は愛犬をケージに入れ、バスに乗り込んだ。

二つ目の良くないことはこのバスの車中で起きた。

家内がケージを膝の上に抱え着席していると、途中の停留所から乗車してきた高齢者が

家内に向かってこう言ったらしい。「わ、犬がいる、クッセー」

あまりの唐突さに家内は唖然とし、やがて激怒したが

それよりも愛犬のことが気がかりだったのだろう、それ以上この高齢者と絡むことはなかった。

あぁ、私が居合わせていればよかったと思った。

どこのクソじじいか知らんが、私なら即ギレする。キレたかったぁ。

こいつがどんなに犬嫌いだとしても知ったこっちゃない。

健気にルールを守りながら暮らす愛犬家に対して、こんな暴言を吐く非常識をぜったい許せない。

人として許せない。もし私がいれば、このクソじじいの臭いをクンクンと嗅いでやる。

そしてできるだけ冷静に語りかけるのだ。

「あなたの加齢臭の方がよっぽど臭いますよ、というか死臭がしていますよ」って。

そもそも、私がその場にいて愛犬を抱えていたら、クソじじいは同じように暴言を吐いただろうか。

家内を女だと思ってナメたのかもしれない。

どうか、私が一緒のときにこのクソじじいに出会えますように。

うちの愛犬はというと血液検査までしたけれど、特に異常は認められなかった。

痛んでいた虫歯からの出血らしいとのこと。家内も私もひとまずホッとした。

三つ目の良くないことは、診療費がやたら高かったらしいが

愛犬のほぼ無事に安心できたことと、安心したことでクソじじいへの怒りが

多少でも和らいだのなら決して高くはない。

礼儀正しい地元の女の子に感心させられる

先日、近所のスーパーへ買い物に出かけた時のこと。

スーパーへは、この辺りの鎮守さま(神社)を通って行くルートが

近道なのでよく利用している。

この日もいつも通り、鎮守さまを抜けようとしていた。

参道へと続く鳥居の手前に差し掛かると

前を小走りする一人の女の子に気がついた。

背格好からして、小学校の低学年だろう。

鎮守さまの境内には近所の子どもたちが遊べるほどの

小さな公園が備わっていて、この女の子もきっと公園に遊びに行くのだと思った。

女の子との距離は20メートルほど。

私は何となく、公園へと急ぐ女の子が、勢い良く加速して

鳥居を駆け抜ける姿をイメージしていた。

けれど女の子はスッと立ち止り

参道に正対すると丁寧にお辞儀をしてから鳥居をくぐった。

しかも当たり前のように、ごく自然に。

その一連の所作が可愛くもあり、美しくもあり、すっかり見とれてしまった。

よほど親の教育がいいのか、学校の教育がいいのか。

大人だって、なかなかできることじゃない。

やがて女の子は、公園をめがけて子どもらしく元気に走り去っていった。 


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「何をしている時がいちばん楽しい?」と聞かれてリアクションに困る

「何をしている時がいちばん楽しい?」

私の隣の席に座る同僚に突然、聞かれた。

突然などと言うと、この同僚がおかしな人に聞こえるが

正確には、あまりにも大きなため息をついて仕事をしていた私を見かねて

声をかけてくれたのだ「何かあったの?」と。

最近、何かと調子の悪い私だが

人を心配させるほどの大きなため息をついていたとは

社会人以前に、やはり人間として問題がある。

何でもない、と応えるのも嘘くさいので、「最近、イマイチでね」と私。

そんなやりとりがあって、その流れで聞かれたのだ。

「何をしている時がいちばん楽しい?」って。

よっぽど私がつまらなそうに見えたに違いない。

この質問には正直、不意をつかれた。

「楽しむ」なんて、とても感覚的なことなので意識したことがない。

改めて、自分は何を楽しいと感じているのだろうか。と考えてみた。

そういえば最近、心から笑ってないよな。

決して、楽しい=笑うではないけど、そんな風にも思った。

「うーん・・・」。結局、私はこの質問に答えることができなかった。

仕事は楽しい?

それは、ない。

私にとって仕事とは辛くて、苦しいものであって、楽しいものではない。

よく「何か楽しい仕事したいね」なんて言う人がいるが

楽しい仕事なんてあるわけない。

地べたを這いつくばるように、泥水をすするように

もがきながら取り組むのが仕事だと思っている。

じゃあ、家庭は楽しい?

それも、ない。

家庭や家族は養うもので、楽しむ対象ではない。責任を果たす対象である。

こんな調子で私は 趣味は? 友人は?

といろいろ自問自答してみたが、ピンとくるものはなかった。

過去の私を思い出してみた。そうしたら、楽しいことがいっぱいあった。

どうやら、歳をとって楽しみ方を忘れてしまったらしい。

いや歳の問題ではないな、生き方の問題だ。

その証拠に、世の中には楽しそうな私と同世代の人たちがたくさんいる。

きっと、人生の勝ち組なのでしょう。

そんなひがみ根性すら湧いてくる。

ところで、今回の一件があって、「楽しい事」をネットで検索してみると

まあ、出てくる出てくる、ネガティブ思考。

「楽しい事ないかな?」とか「楽しい事がない!」に関するものがやたらとヒットした。

これには驚いたと同時に、ちょっと安心もした。

ひねくれた同族意識である。

ま、とにもかくにも、私の異常に気づき、声をかけてくれた同僚には

とりあえず感謝したいと思います。


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サッカー日本代表、お疲れさまでした。彼らに「惜しい」は必要ない

サッカー日本代表のメンバーへ、本当にお疲れさまでした。

大会が始まるまでは、ほとんど期待していなかった私だが

試合を重ねるごとに彼らの戦いに魅了された。

死闘となったベルギーとの一戦は、最後までドキドキしながら見ていた。

結果は残念だったが、ここまで日本中を熱く、感動させてくれた彼らには心から感謝したいと思う。

この一戦、私のような素人からすれば「惜しい」試合だったと感じるのだが

「惜しい」に全く意味のないことを選手たちは痛いほど分かっている。

よく、選手たちが「結果がすべて」と言っているのを耳にするが、勝負事とはそういうものだ。

この感覚、当事者じゃないと分からないし、本来、当事者しか言えないことだと思う

私たち素人風情で「結果がすべて」なんて言ってるやつがいたら、はり倒してやりたい。

こういう国を背負っての勝負とはほど遠いのだが、私の世界にも勝負事はある。

世の中は勝負だらけなのだ。

 

私事ではあるのだが。

このご時世、ほとんどの仕事は「コンペ」という不毛なシステムで成り立っていると言っていい。

公平を装った、不公平なシステムだ。

そこには当然「勝ち負け」が存在する。

複数の企業が参加するコンペのとき、たとえば5によるのコンペでは

勝者は1社で、あとの4社はすべて敗者ということになる。

コンペの場合、その出来や見積り額によって参加各社が順位付けされることが多いのだが

私にとっては、2位も最下位も負けは負けである。

大体、この順位が本当なのかも疑わしい。

クライアントは、敗者の4社すべてに「御社は2位でした」と

言っている可能性もある。

私の仕事がコンペに負けたとき、やたらと2位であることを強調し

「惜しい感」を出すやつがいるが

まったく理解できない。負けは負けである。

こういう人間に限って、「勝ち負けは時の運」などと平気で言う。

 

そういう人間は当事者ではないということだ。きっと、仕事をしていない。

けれど、そうじゃない。勝ち負けには必ず理由がある。

それが営業力なのか、表現力なのか、会社としての信用なのか

はたまた別の何かが必ずある。

私はその負けた理由が聞きたいだけだ。負けを受け入れて、次に備えるために。

どうして負けたのか、何が私に、私のチームに足りなかったのか。

頼むから、それだけを教えてくれ。順位なんて、どうでもいいから。

 

「惜しい」には何の意味もないし、「惜しい」では前にすすめない。

すなわち、次の「勝ち」に繋がらないのだ。

全力で打ち込んだ者しか見えない世界がある。悔しさがある。

今回のサッカー日本代表たちは、それが見えたはずだ。

そこに「惜しい」は存在しない。

私たちはただ、今回の彼らの努力を賞賛すればいい、そして次に期待すればいい。

苦言なんて不必要だ。次にやるべきことは、彼らには見えている。彼らにしか見えない。

こんなことを言うのはおこがましいのだけれど、スケールは違うのだけれど

私も私の世界で感じることがある。

全力で仕事に打ち込んだとき、それは見える。

「惜しい」なんて言っている場合ではない。

さぁ、次がある。


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「ヘタウマ」を理解できないやつに、いいコンテンツなんて創れやしない

「ヘタウマ」という世界観がある。

この世界観は、主に絵画やイラストなどに用いられることが多い。

「へたくそ」以上「うまい」以下などと定義されることもあるようだが

その見立ての基準は、人それぞれにあるようだ。

確かに同じ作品でも誰かがみれば「へたくそ」だけど

違う誰かがみれば「ヘタウマ」ということもある。

それは、それでいいのだと思う。

芸術性やセンスを問われていると感じる人は

それがバイアスとなってしまうこともあるだろうし

「すき、きらい」という感覚が影響することもある。

作家の名前が売れているか、売れていないか、ということもある。

そういう意味でも「ヘタウマ」を特定することは意外と難しいのかもしれない。

私も正直、よく分からない。ただ、仕事上そうも言っていられない。

だから私なりに「ヘタウマ」を見立てると、例えばイラストの場合、単体ではなく

何らかのコンテンツや原稿の一部となったとき、文章やデザインと調和し

ときには引き立てながら、そこはかとなく“いい味”をだしてくれるもの。

そう思っている。「ヘタウマ」だけを見るのではなく

「ヘタウマ」がコンテンツの中でどう機能するかである。

こういう見立てをまったく理解できないやつがいる。

私が生業としているこの世界では致命的だと思う。

ただの観賞者ならともかく「すき、きらい」でしかものが見ることのができない専門職。

「ぼくは、すきじゃないなぁ」だって。

ば〜か、お前のために創ってんじゃないんだよ。

こっちは、請負業として、お前の会社のために、良かれと思って選択してるんだよ

もう、やめちまえば、このくそクライアントが!

・・・それとも、この4流企業の4流の社員に「ヘタウマ」が理解できるほどの

リテラシーを求める私の方がどうかしているのだろうか。


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職場にある喫煙スペースの居心地の悪さ

コミュニケーション力が無いことを隠して生きていると

無理をして笑ったり、話しかけられたらそれに応えたり

ちょっと元気なふりをしたりと、何かと面倒くさい。

本当は、挨拶すらしたくないくらい面倒くさい。

そして、その面倒くささもまた、隠さなければならない

まったくの悪循環だ。

だから、私はできる限り人との接触を避けようと生きている。

仕事上の人間関係、職場内の人付き合いについては特にそうだ。

ときに私は喫煙者である。

時代の潮目から言うと非・非喫煙者と言った方がいいのかもしれない。

昨今では、居場所を追われ、喫煙スペースを見つけるのも一苦労なのだ。

職場のあるオフィスビルには喫煙スペースが1カ所ある

いや1カ所しかない。このビルで働くすべての喫煙者が集まる。

もちろん私と同じ会社、同じ職場の人間たちも集まる。

私はここで繰り広げられるコミュニケーションが苦手でならない。

誰かに話しかけられるのも嫌いだし、だからと言って

知らん顔で、スマホをいじりながら煙草を吸うのも何かバツが悪い。

私にとって「いっぷく」はリラックスできる瞬間であるはずなのに

逆に緊張してしまう。とにかく居心地がよくないのだ。

そこで私は、徒歩5分をかけて隣のビルの喫煙スペースに通っている。

他の利用者はいるが、誰も私を知らない、私も誰も知らない。

非効率なようだけれど、心の平静を保つには

いまのところベストなやり方だと思っている。

ストレスもないし、おのずと煙草の本数も減るし、歩くから運動にもなるし。

一石三鳥ということだ・・・。なんて、言っているけど

ただの自意識過剰なのかもしれない。

誰も私のことなんか気にしてないのかもしれない。

別にそんなことを知りたいわけでもない。

あぁ、昔はこんなじゃなかったのに。

人との出会いがすき、なんて言えるときもあったのに。

なんか、年々ひどくなっているような気がする。

まあ、いいや。

明日も隣のビルへ行こう。いっぷくしに行こう。

私を含めて、誰も嫌な思いをしないで済む。

それだけは、確かだ。

 


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頭のおかしいクライアントに我が心を冒される

ここ最近、頭のおかしい人と仕事をしている。

クライアントだ。

自分の主張が正しいと信じて疑わないエゴイストで

こちらの善意の提案を屁理屈でことごとく潰していく。

それが、コンテンツの、いわゆる「表現」に関わるところだから

私にとっては、たまったものではない。

提案を潰されるだけならまだしも、そのうち自分で表現しはじめる。

勝手にコピーを書いたり、デザインやレイアウト領域に介入してきたりする。

言っておくが、こいつはただの広報担当であってコピーライターでもデザイナーでもない。

何かを表現し、カタチにできるようなプロフェッショナルではない。

こういう人物の特徴として共通して言えるのは

自分を「表現者」と勘違いしているということだ。

自分が、もの創りをしていると錯覚してしまうのだろう。

自分が表現していると思っているので、基本、人の言う事を聞かない。

クライアントという威を借り、すべてにおいて口を出してくる。

プロの表現者を目の前にして、穴だらけのクリエイティブ論を展開する無神経さには

ある意味、感心させられる。ほんと、よくもまあ、臆面もなく・・・。

「キャッチーなビジュアルにしてほしい」だって。

“キャッチー”に殺意を覚えた。

そんな具合だから、社内の調整だとか、事実確認とか

そういった企業の広報担当として本来必要な役割がまったく果たされていない。

けれど、本人にその意識はまったくない。

むしろ喜々として間違いだらけの表現をぐいぐいと押し付けてくるのだ。

「餅は餅屋」ってたとえ知らないのかな。

自分を「餅屋」だと思っているから仕方ないか。

お前ってバカなの?バカでしょ?

こういう人物がいるとどういうことになるか。

現場が混乱するのは当然のことだが、こいつが何かを言えば言うほど

わけの分からないダメなコンテンツになっていく。

優秀なスタッフがピカピカに磨いた表現を、どんどん汚していくのだ。

そして最後にはウンコみたいなものが出来あがる。

悲しいかな、いまの私の仕事もウンコまっしぐらだ。

立場上は、私がこいつをコントロールしなければいけないのだが

試みてはみたものの、頭がおかしいので正論が通用しない。

まったくコミュニケーションがとれない。

私の心の冒され方の推移はこうだ。(心の声を伴って)

 

ステージ1・・・驚き(こいつって、何なんだ!)

ステージ2・・・怒り(お前、いつかぶっ飛ばす)

ステージ3・・・呆れ(はいはい、今度はなんですか?)

ステージ4・・・諦め(どうぞ、好きなようにしたらええのんや。)

ステージ5・・・崩壊(ヘヘヘヘ・・・へへ。)

 

いまの私の心のステージは3と4の間くらいだろうか。

進行が早い。

ヤバい、ヤバすぎる。がんばっている他のスタッフに申し訳ない。

いま私が踏ん張らないでどうする。

ステージ5に達してしまったら、この仕事は

ウンコになってしまう・・・。

それだけは、どうしても避けなければならない。


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キーちゃんを理想のタイプと言っていたヒトの思い出

北澤 豪 愛称「キーちゃん」を理想のタイプというヒトがいた。

今やキーちゃんは、サッカー解説者として様々なメディアで活躍しているが

私にとっては、同世代のサッカー選手として強く印象に残っている。

キーちゃんはタフでよく動く選手だった。

ピッチを縦横無尽に駆ける姿はまさに「ダイナモ」というニックネームに相応しかった。

いいフィールドプレーヤーだったのだ。

ただ、その容姿はちょっと独特で、小柄で豆タンクのような身体

日焼けして黒光りする顔面に張り付く長い髪、どちらかと言えば異形である。

今でもその雰囲気はあまり変わっていない。

当時、キーちゃんの女子人気がどの程度のものだったのかは記憶にないが

あくまで私の主観で見れば、その容姿は決して「モテる男」とは言いがたかった。

(実際はすごく美しい嫁がいらっしゃいます

事実、私はこれまでキーちゃんのファンだと言う人にお目にかかったことがない。

 

そんなキーちゃんを「大好き」と言って憚らないそのヒトに出会ったのは

今から5年ほど前のことである。

私にとって、クライアントにあたるそのヒトは

いわゆるアラフォー独身女子で私の仕事の良き理解者でもあった。

年齢の近さもあったと思う、彼女とは妙に馬が合い、たくさんの仕事をいっしょにした。

どの仕事もやりやすかったし、楽しかった。

(実は彼女が、社内調整やら、いろいろと取り計らってくれたおかげなのだが)

だから、彼女と個人的な会話をするようになるのも、そう時間はかからなかった。

とある日、仕事の打ち合わせが終わり、私と彼女は他愛のない世間話をしていた。

そんな流れだったと思う。

「◯◯さんって、どういう男性がタイプなんですか」と私。

すると「キーちゃん!」と彼女が即答。

キーちゃんって、サッカーの北澤ですか?と明らかに怪訝そうな私に

えーっ。やっぱりダメですか?と明るく笑って応える。

「やっぱり」という事は、私以外の人間にも男の趣味についてつっこまれることが多かったのだろう。

彼女自身も自分が“特殊”であることを自覚していたのだと思う。

どこがいいのかと聞いてみるも「うーん・・・何となくです」と

茶目っ気たっぷりに私を煙に巻いていた。

 

そんな彼女は、もうこの世にはいない。

去年、突然逝ってしまったから。

もう、キーちゃんが好きだという心理を探ることもできない。

ワールドカップが始まってから、キーちゃんをよくテレビで見かけるようになった。

その度に私は心の中で泣きながらつぶやく「◯◯さん、キーちゃん今日も出てますよ」。

 


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